スリランカ旅行記6日目は、朝からヌワラエリヤのお茶畑を散策
朝はバンガローで朝食をいただいてからせっせとパッキング
2日間お世話になったBinoya Tea Estate Bungalowとも今日でお別れです。
この日は電車でキャンディまで移動することにしていたので、車で駅まで送ってもらいます。
ちょうど駅の近くにもお茶畑が広がっているとのことなので、早めに行って少し散策することにしました。
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Binoya Tea Estate Bungalow
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オーナーさんはお仕事があるのでここでお別れ。
滞在中は色々と気遣ってもらい、いい滞在ができたお礼をしっかり告げていざ出発。
オーナーさんの代わりに、お茶工場で働いているスタッフの方に送っていただきます。
きのう徒歩で暑い中歩いた道を車で進みます。
やっぱり駅までは歩けないとまでは言わないけれとちょっと距離がありました。
近くに車を止めて、お茶畑へ案内してくれました。
ヌワラエリヤの茶畑
おじちゃんが「こっちだよ〜」とどんどんお茶畑の奥へと進んで行きます。
最初は道幅も広かったのですが…
お茶畑の奥へと進むにつれて、急な斜面を登っていきます。
足場が悪いのに、おじちゃんはつっかけみたいなサンダルでスイスイ上がっていきます。
さすが俺の庭的な感じで慣れてるだけあります。
こんな斜面を歩きながら手摘みでお茶を摘んでいくのですから、普段飲んでいる紅茶のありがたみを改めて感じさせられます。
セイロンティーの歴史
昔のスリランカでは、紅茶ではなくコーヒーの生産が盛んだったそうです。
しかし、1860年代にコーヒープランテーションで「さび病」という病気の流行により、コーヒー産業は衰退しつつありました。その頃しだいに紅茶の栽培が試されるようになります。
様々な実験研究を重ね、紅茶の栽培方法や製造方法を確立したのが紅茶の父と呼ばれるジェームステーラー。彼の生み出した手法はしだいにスリランカで広まっていき、香り高いセイロンティーは高い評価を受け世界中に広まっていきました。
そして1890年にはイギリスで食料品店を経営していたトーマス・リプトンが美味しい紅茶を求めてスリランカへやってきます。日本でもおなじみの紅茶のリプトンですね。
彼はウバ州で大規模な農園を買い取り、独自のブレンドティーを生産。「茶園からそのままティーポットへ」をスローガンに、世界各国でマーケティングキャンペーンを行い大成功を収めます。
それまで中流階級以上の飲み物だった紅茶を労働階級にまで広め、紅茶ブームの火付け役となったそうです。
スリランカは紅茶の生産量は世界第2位
小国ながらも紅茶栽培に適した環境が揃っているスリランカの高地では、産地ごとに標高や地形が異なるため、年間を通して旬の紅茶が収穫されているそうです。
ヌワラエリヤはイギリス植民地時代に英国人の避暑地としても栄えていた場所です。
スリランカにはかつての英国人別荘の跡地をホテルにしたような施設もたくさんあります。
今回訪れた 「Binoya Tea Estate Bungalow」 も、植民地時代から代々続く歴史あるお茶畑です。
イギリス植民地時代に大規模プランテーション経済下あったスリランカ
セイロンティーは今なお主要な輸出品目として国を支えています。
お茶畑の斜面を登っていくとさらに美しい景色が広がります。
見下ろすとこれから乗る列車の線路が見えました。
この景気とも、もうお別れかと思うとなんだかしんみりしてきます。
カメラで写真を撮ったり
アイフォーンでムービー撮ったりして最後の時間を楽しみます。
さて、そろそろ電車の時間が迫ってきたので駅へと向かいます。
駅名は ROZELLE
小さな駅ですがとってもレトロかわいい雰囲気の駅でした。
スリランカ鉄道の列車旅については次の記事へつづきます。